「学び直し経営塾、塾長のつぶやき」No.1 リカレント教育(学び直し)と生き物としての「経営学」
私は総合化学会社のビジネスマンとして40歳まで勤務した後、中堅・中小企業支援「社外経営企画室」業務のベンチャー企業を創業した。そしてご縁があって大学(経営学部)・大学院で教鞭を執ってきた。大学教員という立場で、多くの学生を社会に送り出したが、彼らの中には久々に私のところに訪ねてくる“社会人”がいる。「先生、また大学に戻って授業を受けたくなりました。今だったらあのころと違って、もう少し授業内容が理解でき、今の仕事にも役立てることができると思うので、もっと真剣に受講できます。実に勿体ないことをしました」などと、ボヤキ交じりの相談にやってくるのである。それで私も「そうか。あの時の試験は少し甘すぎたかなと私も反省しているので、今ならもう少し真剣に中身の濃い試験問題を出すのだけどね」と応酬(?)してやると、「試験だけは今でも夢に出てくるので、勘弁してください」と、にわか学習熱も冷め、そそくさと退散してしまうから面白い。
しかし社会人になってから、学び直しへの欲求が高まってくる人が多いのも事実ではなかろうか。経営学の分野について言えば、一般に日本で大学まで進む人は、職務経験なしに高校から大学へとストレートに進む。研究者・教員職を目的としていない限り、大学院へと進むケースは稀有である。これに比べて米国などでは高校を卒業したあと、一旦社会で仕事をし、より高い教育の必要性を感じて大学へ進み、さらに大学卒業後、新たな社会経験を積んだ上で、大学院に進むというケースは珍しくない。私が米国のビジネススクール(イリノイ大学大学院MBAコース)で学んだとき、クラス仲間には大学卒業後にフォードのような企業の工場で働いて、それからより高いキャリアへの道を求めてビジネススクールに入学してくる学生が何人もいた。さらに学部のときの専門が経営学ではなく、機械工学だったり建築学だったり、中には心理学や音楽のような異分野出身の学生もいたことが印象的であった。
最近、日本の各大学でもエクステンション講座、リカレント教育講座、またはオープンカレッジといった名称の社会人向け講座も目にするようになり、「学び直し」ニーズのある社会人には歓迎すべき動きである。諸外国と比較すると、社会人学生の比率はまだまだ少ないが、2003年以降、文部科学省の指導により、専門職大学院の設置が増え、経営系大学院へ進学する社会人も増えてきている。
(出典:文部科学省「生涯を通じた学習機会・能力開発機会の確保に向けた大学等における社会人の学び直し」平成29年3月13日) ※日本の数値は2016年)
ここで「国内の経営学系大学院における社会人の学び直し」という調査論文(兵藤郷著、2011、Works Review Vol.6)を紹介しよう。著者によると、社会人の入学目的は、仕事上での客観的な評価向上や処遇改善に関連した動機はそれほど多くなく、どちらかと言えば「仕事経験の論理的整理」や「論理的思考力の向上」のほうが大きな割合を占めているとのこと。本論文ではさらに、学習成果についても詳述している。入学前の役職が部長・課長クラスのようにマネージャー経験が長いほど、上述した「仕事経験の論理的整理」と「論理的思考力の向上」に対する成果が大きかったということである(アンケート結果)。
これは社会人が自らの実務経験に照らして経営面での普遍的な原理原則や現場での課題解決策のヒントを、大学での理論学習の中に見出したい、あるいは確認したいという欲求を満たすことができるということである。また講座開設の大学側にとっても、社会人との交流を通して学問的理論についての実証研究と新たな研究課題の発掘につなげていけるということで、通常の学生への一方的講義からでは得られない大きな特典も魅力となっている。つまり双方にとって、Win-Win関係の構築が期待されるのである。しかし日本の場合、ここで大きな問題が浮上してくる。それは教える大学側に実務経験のある教員が少なく、社会人である学び直し学生との間で、インタラクティブで本質的なディスカッションや説得力ある回答・解説のできる教員が少ないということである。
さらに先ほど紹介した兵藤氏の論文では、学び直し意欲のある社会人が多いのに対し、実際に経営学系大学院への入学者は、大企業勤務者が多いとのこと。これは学び直したいという社会人の中でも、ある程度の高所得者でないと、高額な入学金・授業料の関係で入学することが難しいのではと結論づけている。
このような日本の現状を鑑みて、私は潜在的な「学び直し」意欲のある社会人(一般庶民)を対象に、昨年4月「寺子屋カレッジ」という経営塾を開校した。これは学士、修士のような学位や公的資格を得られるものではないが、誰でもがリーズナブルな料金で、実務に即した「経営学」を気楽に修得できる“学び舎”である。日本企業のうち99%を占める中小企業で働いている経営幹部・中堅社員だけでなく、商店街などの個人事業主、さらに税理士・会計士、歯科医・医師、教育機関運営幹部、NPO運営者のような方々に対しても、生きた学問としての「経営学」を学ぶ機会を提供したいと考えている。また、日本全体の経営力底上げに少しでも貢献できれば、というのが究極の願いである。
(参考:「寺子屋カレッジ」のHP https://www.terakare.com/ )
「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ますことは出来ない」 ということわざがあるが、のどが渇くことで、自ら飲みたくなる、とうのは教育分野でも同様である。また飲みたくなるように後押しするような、“教育術”も同時に求められている。教育と訳されている英語のeducationはラテン語が語源で、eは「外へ」、ducateは「引き出す」、要するに「その人の中にある潜在力を外に引っ張り出してあげる」というのが原義であることも再認識したいものである。
内閣府の「平成29年版高齢社会白書」によると、65最上以上の総人口に占める割合は,27.3%、すなわち4人に一人を超えたとのことである。そこで最後に私は、バーナード・ショーの言葉のなかの“遊び”を“学び”に置き換えたものをご紹介したい。「年をとったから学ばなくなるのではない。学ばなくなるから、年をとるのだ。」
(2018年1月)